練馬区光が丘にある「光が丘公園」は、1981年(昭和56年)12月に開園されました。広さは、約60万平米の練馬区内最大の公園です。緩やかな丘に造られた芝生広場や野鳥観察ができるバードサンクチュアリなどの自然と共存する施設や、野球場やテニスコートなどの本格的なスポーツ施設もあります。
「紀元2600年記念事業」(昭和15年)
都市近郊の農村地帯であったこの付近一帯は、昭和15年(1940年)紀元2600年事業として、東京府の「東京緑地計画」の一つにあげられました。
しかし、太平洋戦争が始まったため、大緑地としては整備されず、昭和20年8月の終戦まで旧陸軍の成増飛行場として使用されました。 戦時中は成増陸軍飛行場として整備され、神風特攻隊の出撃基地となりました。
戦後は、GHQに接収されて米軍家族住宅(グランドハイツ)として使われました。
1973年(昭和48年)に全面返還されて現在の地名になり、「グランドハイツ」跡地(182ha)の処分により、大規模団地である光が丘パークタウン(光ヶ丘団地)と光が丘公園(60.27ha)が造成されました。
地名の由来は、練馬区のイメージである「緑と太陽のまち」にちなんで名づけられたということです。
昭和49年4月から公園造成に着手し、”豊かな自然とスポーツの公園”をテーマに、災害時の広域避難場所としても機能する緑の豊かな、都民に広く親しまれる公園として整備され、同56年12月に34.6haを開園しました。
その後、各種の公園施設を整備し、現在60.7haを有する都内でも有数の規模の公園として都民に利用されています。
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