渋沢栄一の「道徳経済合一説」とは?近代日本経済の父、社会福祉・教育・国際親善にも貢献

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 先日(10/29)、埼玉県深谷市にある渋沢栄一記念館や生家など見学してきました。都心から貸し切りバスで片道約2時間の日帰りツアーです。帰りは雨に降られましたが、一日中曇り空で天気に恵まれました。朝の9時半から、渋沢栄一の講義があるということで、記念館に到着するとすぐに教室に集合しました。

渋沢栄一の出生

・1840年(天保11年) 生れ
・埼玉県深谷市血洗島の農家

父親からは勤勉さ、人への思いやりを、母親からは慈悲の心を学び、いとこの尾高惇忠からは論語や学問を学びました。

尊王攘夷

 栄一は、尊王攘夷の影響を受け、23歳の頃幕藩体制に疑問を抱き挙兵を企てたが中止して郷里を離れました。
 尊王攘夷とは、天皇を尊び外敵を斥けようとする思想で、江戸時代末期(幕末)の水戸学や国学に影響を受け、維新期に昂揚した政治スローガンをいいます。

「一橋家、幕府に仕え、渡欧」

 その後」、一橋家及び幕府に仕え、1867年(慶応3年)第15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武に随行して渡欧しました。約一年半滞在した中で、ヨーロッパの進んだ社会制度や思想、文化などを目の当たりにし、大きな影響を受けました。

明治政府を辞して実業界で活躍

1868年(明治元年)に帰国し、明治政府に迎えられましたが、意見が合わず辞職して第一国立銀行を設立するなど、実業界で活躍しました。

500余の企業の育成と、600以上の社会福祉事業や教育、また国際親善に貢献!

 論語の精神を重んじ、第一国立銀行をはじめ、設立、育成に関わった企業は500余に及びました。
そしてまた、600以上の社会福祉事業や教育に関わるとともに、昭和6年(1931年)に91歳で亡くなるまで国際親善にも貢献しました。

「論語」の精神を重んじ、「道徳経済合一説」を唱えた!

 「論語」とは、中国の思想家である孔子の教えを、その弟子たちがまとめた書物です。孔子の言行録であり、儒教の経典の一つです。(儒教とは、孔子に始まる教えで、個人の道徳と社会の理想を説いています。)

「道徳経済合一説」とは何か?

渋沢栄一の中心的教えである「道徳経済合一説」とは、企業の目的が利潤の追求であるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないし人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならないというものです。
 「論語とそろばん」という書物を出しています。福沢諭吉の代わって、
2024年7月より新たに流通する新一万円札の肖像は、明治の偉人渋沢栄一です。
 渋沢栄一は、1923年(大正12年)に『道徳経済合一説』を発表しました。思想の集大成とも言える講演で、最晩年(84歳)時の肉声をレコードにしています。

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