日野富子 応仁の乱、何を考えどのように生きようとしたのか?

偉人伝記

 日野富子(1440~1496)は、室町幕府(1336~1573)の8代将軍・足利義政(1449~1474)の正室であります。そして、また9代将軍・足利義尚(1473~1489)の母です。

日野富子の生い立ち

 日野富子は、1440年(永享12)に京都に生まれた。
父は、日野政光で僧侶です。母の名は、今小路苗子で二人とも朝廷に仕える貴族の家柄です。
 富子の兄弟には、勝光、永俊という二人の兄と妹の時子の三人がいました。
 また、祖父の義資の妹・日野重子は、6代将軍義教の妻で、7代将軍・義勝、8代将軍・義政の母親であります。
 そして、日野富子はこの8代将軍・義政の妻に迎えられました。

鎌倉幕府から室町幕府、南北朝時代、応仁の乱、戦国時代を経て安土桃山時代へ

 室町幕府は、1338年(暦応元年)に足利尊氏によって京都に樹立された武家政権です。
 室町幕府は、鎌倉幕府(1185年に源頼朝が創立した武家政権)の政策を踏襲しつつ、各国の支配を一任した守護大名の設置や、明との日明貿易などにより、第3代将軍・足利義満の時代に最盛期を迎えました。

応仁の乱と「戦」の原因を作ったと言われた「日野富子」

 政治を疎かにする義政に代わり、我が子を将軍に就かせその権威を死守した日野富子は、11年もの長い応仁の乱の中でたくましく生きた女性です。

 今から500年程昔の室町時代に、応仁の乱という戦乱があり、京の都を中心にして、全国の守護大名たちが東軍と西軍に分かれて。明けても暮れても戦った日々がありました。
 そのために、美しい京の都は、ただの焼け野原になってしまったのです。

米の買い占め、京の七つ口に関所を作り人を困らせ「悪女」と言われた!

一方で、日野富子は、平和な世の中にしようと「獅子奮闘」の働きをする

日野富子という女性は、一体何を考え、どのように生きようとしたのか?

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